「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとく」という言葉を吐けるのは、上下の区別が付けられない人だけ
一辺の長さが10cmの三角形も、百万光年の三角形も同じ。三角形がいっぱいあるようには見えず、ただ「一辺の長さが0の三角形」が1つあるだけなのです。
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ここで語られるタロットの読み解きは、無数の可能性の一つに過ぎません。
サビアンのワーク化の準備
●一覧表を作るためにサビアンシンボルを一から全部入力していったのですが、これをやるだけでも一種の瞑想ですね。写経みたいな。今回はドデカテモリーを見ながら入力したのでその関連についても細かい発見があったり(ドデカテモリーとは一つのサインを12分割し、そこに12サインを当てはめる手法です。牡羊座のサインの中に牡羊座〜魚座のドデカテモリーがあることになります)。また「このサビアンをワークにしたらどうなるかな」とチラチラ考えつつ。ワーク化とは体験のフレームを作ることなので、一つ一つのサビアンの世界でその人はなんらかの経験をすることになるはずです。
サビアン全体で人間の経験や成長段階の全プロセスを示している、と考えるなら、これらのサビアンワークによって少しずついろんな段階の体験ができる、と言うこともできそう。
タロットの一枚一枚のカードの絵の中に入るパスワーキングという作業もありますが、もうちょっと手順をしっかり作ってその世界に入りやすく、またできるだけそのサビアンの本質に近い体験ができるようにしたいと思っています。
単にサビアンの文章で描かれている情景の体験ではなくて、その情景の体験を通じて本質に近づけるワークにしたいのです。そうなるとちゃんと「そのサビアンの本質とは?」を理解していなければならないですね。そのシンボルのテーマが理解できていないと、ワーク化してもただその絵を見せるだけになってしまう。
ショッキングなシンボルもあるので、昨日話した安全性にも考慮しつつ作っていきたいです。まあタロットでも死や塔など一見ショッキングなカードもあるので、そういうものへの対処と近い方法が使えそうです。
●パスワーキングの体験は結構自由形になりますが、自分の考えているワークはもう少しシナリオ的な形があるものです。これは一人で行うセルフワークを前提にしているためで、あまりにも自由すぎると一人では難易度が上がったり、あるいは危険領域に踏み込んでしまったり、そういうことがなるべく起きないように。
●先日、香山哲さんが紹介されていた「Solo But Not Alone」という一人用TTRPGを90本くらい集めたバンドルを買ってみました。たくさんありすぎて全部は見られないのですが、この辺もおもしろいものが多くて、参考になりそう。


というより、子供の頃一人遊びのためのゲームのルールやシステムを延々作っていたときのことを思い出します。
シンボルにはサイズが認識できないから、行為者がサイズを可変させてもいい
いつも言っている話ですが、サビアンでもタロットでも、シンボルとは「サイズやスケールを認識できない」ものだと自分は考えています。どちらもフルセットで「あるスケールの範囲内での全ての体験や事象を象徴する」ものですが、そのスケールの範囲を決めるのはシンボルの使用者の方です。シンボルそのものには大きいものと小さいものの区別が付けられません。だから宇宙全体というスケールにしてもいいし、私の家の中というスケールにしてもいい。全人類の歴史でもいいし、私という個人の人生の過程でも、今日一日の出来事でもいい。
エメラルド・タブレットに有名な「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとく」という文章があります。これは霊的なもの(上)も物質的なもの(下)も同じであり、マクロコスモス(上)とミクロコスモス(下)も同じである、という、「スケールを横断してもそれらは同じものであると示す」言葉です。だから上で起きていることは下にも起こるし、下に働きかけたことは上に働きかけたことにもなる。魔術や呪術の原理にも関わる言葉です。
こういう言葉を吐けるのは「上と下の区別が付けられない人」だけなのだ、ということもできます。その人にはマクロコスモスとミクロコスモスの違いがわからなくて、それは同じに見えているのです。だから下にあるものは上にあるものと同じだし、下にあるものは上にあるものと同じなのです(便宜上「人」っていいましたがこれには超語弊があります。そういうサイズやスケールの違いを認識できない意識レベルの存在ということです)。
例えばこの存在には、正三角形だったらどんなサイズの、どんな個数の三角形でも「それは一つの三角形である」と見えているのです。一辺の長さが10cmの正三角形でも、百万光年の正三角形でも同じなのです。その存在にとっては、三角形がいっぱいあるようには見えなくて、ただ「一辺の長さが0の正三角形」が1つあるだけなのです。0の三角形に触れば、10cmの三角形にも、百万光年の三角形にも、他の全てのサイズの三角形にも触ったことになるのです。
この「0の三角形」が自分の言っている「本質」ということになります。三角形の本質が様々な現実的場面に適用されると、その場面に応じた長さの辺を持つ三角形として実体化できる訳です。各タロットカード、各サビアンは、それぞれ独自の「0」にあたる本質を持っています。0の三角形、0の四角形があるように、0の魔術師、0の女教皇があるのです。でも一辺が0の長さの多角形が実在できないように、カードやサビアンの本質も現実には存在できません。そのシンボルが受肉する、現実の場面とサイズを設定するのがシンボルの使用者なのです。タロットで占いをするとき質問を立てると思いますが、その質問が現実の場面とサイズを規定し、シンボルが実体化するスケールを決めているのです。
●で、今日考えていたのは、ある人が設定している「全体」のサイズよりも、もっと大きいサイズの「全体」とつながるように意識したいね、ということです。あるいはもっと小さいサイズの「全体」。自分の今の意識があるコスモスよりも、よりマクロなコスモス、よりミクロなコスモスに行くために、タロットやサビアン全体が扱うサイズを可変させることができるはずです。
ワークのときにそのコスモスのサイズをうまく可変させられるのではないかな、ということを考えていました。
●(こういう考え方があるので、冒頭に説明したドデカテモリーも成り立つのだと思います。一つのサインの中でもう一度12のサインが展開されるのは、マクロコスモスとミクロコスモスの関係だと言えます)
みなさんのカード拝見
新月の問い満月の答え



「価値を見直すべきこと」という問いはカップなので「感情的な価値」ということになるのかなと思いました。それに対してのペンタキング、「手堅く富や成果を得るためのリーダーシップ」への感情的な価値の見直し、とも読めそうです。あるいはそうしたリーダーシップを持つ人物像への感情的な価値。



逆逆で出てくるときは、その二枚のカードのエネルギーが混同されてしまって「ワンドエースであるためには星であらねばならない」「星であるためにはワンドエースでなければならない」という連動が起きている状態とも言えます。確かに目標設定が高すぎるから情熱がない。ただ目標の高さは目標の高さで持っていてもいいけど、新たな情熱を燃やすのはそれとまったく関係なくてもいい、という切り分けをすることもできます。はじまった情熱に希望があろうがなかろうがその情熱を燃やしてもいいし、熱意があろうがなかろうが高い目標を持っていてもいい。
あなたという木に必要な剪定と肥料スプレッド
花実が逆位置だったときどんな花が咲くのか、読み解きが難しいポイントだと思います。逆位置は「この花が咲き、実ることによってこのカードのエネルギーが木から消える」と考えていいと思います。花が咲き、それが散ることでワンド6的なものが木から消える。これは枯れちゃったわけではなくて、それが消えることがポジティブな意味を持っている、と考えるとよいです。
ワンド6は自分の情熱を持って取り組んだことに周囲から評価をもらえる、というエネルギーですが、同時に「他者の評価によって自分の情熱が左右される」ことでもあります。「これは人に褒められるからやろう」「あんまり評価されないだろうからやめよう」という、自分の中の基準ではなく他者の基準によって情熱が規定されなくなるための花実。
キングが2枚あるのも重要ですが、ペンタキングは剪定してソードキングの栄養を与える。剪定するペンタキングはワンド6の「評価基準が他者」である原因にもなっていて、キングでありながら他者の評価軸で動いてしまう木だった。「これだけ稼いだのだから、これだけ立場を上げたのだから褒められるだろう」。それをやめてソードキング的な栄養を与える。キングであるのはそのままに、他者の評価軸で物質的エネルギーを扱うのではなく、知的な立場が栄養になる。
本日の絵を描いてカードを引くワーク
昨日「絵をツイートできてなかった」と書きましたができてたみたいです。まさにソードキング逆。
今日の絵は四角く長い頭をした人物。後頭部がとても長い。
引いたカードはソード9。ソードは知性は思考ですが、この長い後頭部は「思考の軌跡」みたいに考えてもいいのかと思いました。これまで考えてきた時間と蓄積を実体化させるとこの長い後頭部になるというような。9の「終わりなく考える」を図形にすると終わらない長い頭になるのかもしれない。
四角、という直線的な形はロジカルさを表しているようにも思いました。
●明日は二十四節気の啓蟄です。ぜひとも魔法の水のワークにトライしてみてください。それでは!